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2012年12月14日 (金)

歩く:長文です。

所属している会に投稿した雑文です。

人生50歳を過ぎ、体力も下り坂です。薩摩の斉彬公、西郷どん、一蔵どんより長生きして、馬齢を重ねてしまいました。今後、なるべく介護保険のお世話にならないように、又、お世話になるのを遅らせるため、トレーニングの必要性、体力作りの重要性を感じております。皆さんは、体力作りのためにスポーツ等何かされてますか?こういったものは人から強制されるのではなく、楽しくなくては長続きしません。私は子供の頃から運動が苦手。走るの遅いけど、歩くのは人並みでしたが、持久力があったかは疑問です。

高校・大学では体を動かす体育会系倶楽部にも属さないノンポリ青春時代でした。大学を卒業して、1年目の夏休みに、一人旅で、長野県松本を訪れた際、上高地まで足を伸ばしました。格好はデイバックに普通の運動靴だったと思います。見上げた山々(明神岳、西穂高岳?)の素晴らしさに引き寄せられるように、非常食・雨具を含め準備らしい準備・装備無しで、思いつきで蝶ヶ岳に登りました。山小屋(蝶ヶ岳ヒュッテ)に泊り、翌朝の天候が良く、外に出るとこんなにすばらしい景色が世の中にはあるのものだと感動したのを今でも覚えています。人生観が変わった一瞬でした。その後、バッグ、靴、天幕、調理道具など山道具を少しずつ買い揃え、次の年から毎年のように夏休みは北アルプスに足を運びました。槍ヶ岳、白馬岳、劔岳等に山小屋を利用したり、天幕、食料をかついだりして縦走しました。その後、結婚や子育て、開業などで泊りがけの登山はめっきり少なくなりました。今は、子供もある程度大きくなり、一緒に遊ぶ機会はほとんど皆無で、山登りする機会も増えつつあります、それでも開業してからの泊りがけ登山は由布岳、九重など数える限りです。

霧島の山は、今でも時々登ります。朝起きて、天気がいいと登りたくなります。又、新聞テレビで、霧島の紅葉、霧氷などのニュースに接するとその気になります。新燃岳の2011年噴火の4、5日前の凍った大浪の池にも登っておりました。噴火による周辺の山々への登山規制は残念でしたが、今年になって、韓国岳、高千穂の峰、大浪の池などへの入山規制解除で、また、登ることができ、早速、再開です。ある割合の方々にとっては、山登りはきついことをやるということでマゾ的ですが、中高年の登山人口や山ガールの増加からすると、私のように楽しく思う人も少なからずいるわけです。

山を登るのには、普段から足腰を鍛える必要があります。私は、23年前、BMI25くらいになり、チビ、デブ、禿げ、3拍子そろったこともあり、チビ、禿げはどうしようもありませんが、その頃から、散歩を日課とするようになりました。最低でも、1日5km、6000歩、天候さえ良ければ、毎日のように歩きます。休みの日など1日合計2万歩(15km余りでしょうか)という日もあります。マラソン42.195km走る人に比べたらたいしたことはありません。散歩に際し、こだわっている道具のひとつが、靴です。自分に合う、疲れない靴を見つけることです。まだ、履いてないwalking shoes ただ今、3足。また、万歩計も私の場合、必携。万歩計を使って、歩いた歩数を確認します。歩いていて飽きないのは周りの景色です。季節の移り変わりとともに、草花木は変化します。今の季節、日中は紅葉、夜は月や星を楽しんで飽きません。天候や用事で歩けないときは、翌日は禁断症状で、歩きたくなります。学会出張でも、時間があれば街歩き。私の体の中ではエンドルフィン(脳内麻薬)が歩くと出てるのかもしれません。平地だけでは、山登りで使う筋肉を鍛えることはできませんので、私の場合、坂道や階段もコースに入れます。山登り用には、少し重めのリュックをなるべく背負うようにします。泊りがけの登山で、山歩きが連日になることのための練習です。

最近の山登りで、記憶に残ったのは、霧島東神社から高千穂の峰へのコース(往復約10km)。通常は高千穂の峰には高千穂河原が登山口ですが、今回はいつもと違うルートを選択。99日日曜日、11時過ぎから霧島東神社、御池登山口から登り始める。登山開始がいつもになく遅いのは、登山口まで道を迷ったこともあるのですが、前夜、友達と居酒屋で遅くまで飲み過ぎたため、起きるのが遅かったためです。山登りはなるべく早く登り始めるのが原則。歩き始めてすぐ「ヤマヒルに注意」の看板に気づくも、「そんなのいるのかな、それは梅雨時だろう」と、あまり気にも留めませんでした。高千穂の峰山頂までは片道5km。毎日のように平地5km, 6000歩、歩いているわが身は5kmを体が覚えているはず。たいしたことないだろうと思って登る。登れども登れども、先が長い。やはり、平地と山道では同じ5kmでも違う。12時近く、おなかがすいて、アンパン1個食す。血糖値が上昇し、また頑張る気持ちになる。今回のルートは九州自然歩道ではあるが、整備が不十分で、途中, 何度も道に迷いやすいところがありました。なかなか2.5km、五合目までが遠い。山頂まで登り降りする人にほとんど会いませんでした。山の中で、携帯電話が通じにくい、遭難や転落事故など、こういう利用する人の少ない山での一人歩きは気をつけなければならない。途中、何度も止めて引き返そうかとも考えましたが、なんとか最後まで頑張ろうと思いました。残り1.4kmくらいの見晴らしのいいところで、弁当を食す。既に時刻は13時半、水は 1.5L持参するも出発地点に戻ったときは 全部 飲み干すぐらいに、のどが渇きました。特に、夏場は飲み水の準備は怠ってはいけません。皇子原登山口からの元気な若いカップルが後から追ってくる。頑張らねば。高千穂の峰頂上付近は、新燃岳の噴火の影響で、火山礫が降り積もって、足場が悪く、登りにくい。桜島の細かい降灰と異なり、軽石を小さくしたようなものである。高千穂の峰山頂にたどりついたのは 14時半。天候は雨や雷には遭遇しなかったけれど、ガスのため山頂から周りの新燃岳、中岳、韓国岳はほとんど見えず。山頂で、10分くらいの短い休憩の後、下山開始。日暮れが早くなっているので心配で、急ぐ。
帰りも 当たり前ですが誰一人、遭遇せず。蛇も鹿にも遭わず。ところが、ところがである。今回の登山開始の時に登山届けを書き、下山したということで記帳しようとして両腕を見るとは無しに見ると、なんと黒っぽいナメクジのような物体3匹が吸血しているではないか。ナメクジではない。あ、あ、これがヤマヒルだ。最初の「ヤマヒルに注意」の看板を思い出し、払い落とす。生まれて初めてのヤマヒルとの望まない遭遇。実に気持ち悪い。血がなかなか止まらない。じわーっとでている。痛みも痒みもない。丸山征郎鹿児島大学名誉教授(臨床検査学)が講演された抗凝固効果を持つ成分(ヒルジン)をヤマヒルは持っていることを思い出す。車にたどり着いて、靴を履き替えようとしたら、またしても靴下の上にもいるではないか。よくみると、足も一箇所吸血されている。その後、霧島の温泉に入るとき、自分の裸身を見て、ほかに吸血されたとこないか確認。蚊、蜂、ムカデなどと違って、痛くも痒くもなく、吸着されているのに気づかない。頼るのは視覚ばかり、ヤマヒル恐るべし。山の達人Dさん(K製薬)が、御池近くのヤマヒルの話をしてくれたことがありましたが、まるで他人事のようで、その時は記憶にほとんど留めませんでした。ヤマヒルに刺された箇所は2-3週間、痕が残りました。カメラは持参しましたが、私にとっては珍しいヤマヒルの写真を撮る余裕など全くありませんでした。今回は約6時間の所要時間で、高千穂河原から高千穂の峰までのコースの倍くらいかかりました。20年以上前に登っているコースでしたが、そのときの難易度の印象が今より低かったのは、まだ若かったためか、それとも最近の体力の衰えか。最近の登山では一番、体力、気力を消耗しました。それでも、これまでとは違う体験になり、又、登ろうと心に誓いました。

あと数年すると還暦を迎えますが、30歳の頃、登った北アルプス劔岳に再度挑戦しようかと画策し、体力が落ちないように努力、心がけている今日この頃です。

2011年4月26日 (火)

ミヤコザサ

2011年4月24日日曜日

天候:小雨

鹿児島市内は晴れていたのに、えびの高原は霧、小雨。

えびの高原 池めぐり 自然観察会参加。

81歳の師匠は、年齢を感じさせない知力、体力に脱帽。

いろんな 植物を教えてもらったが、記銘力障害のため、ほとんどを忘れる。

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「ミヤコザサ」漢字で書くと「都笹」、学名が「Sasa nipponica」

名前の由来が、京都の比叡山で発見されたので、この名前とのこと。

鹿に食べられているそうである。

山で見かける笹は 「クマザサ」を思い出すが、クマザサは霧島には無いそうです。クマザサは「熊笹」ではなく、「隈笹」。葉に隈取りがあるのが、名前の由来。葉が越冬するときに縁が枯れて隈取りになる。 

なるほど。初めて知った。今回は途中で、雨が強くなりそうで、天候の回復が見込めず、途中で中止となったが、昼食のときに師匠をはじめとするガイドの方々とお話ができて、又 機会があれば 是非参加したい。

agglutinate

2011年4月24日(日曜日)

霧島えびの高原外気温4度。

池めぐり 自然観察会参加のため、「えびの高原エコミュージアム」に集合。

展示物を見学。

「agglutinate」(「アグルチネート」)という言葉発見。

韓国岳の説明英文で、

「Observing its section, you will understand that Mt.Karakunidake's mountain body is made up of an agglutinate consisting of at least three units.」

日本語では、「その断面から、韓国岳は少なくとも3つのユニットからなるアグルチネートで山体が作られていることがわかります。」

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Yahoo 知恵袋で、「アグルチネート」とは

「玄武岩質の溶岩などが噴水のように溶岩を飛ばす噴火をすると、そのしずくはスコリアと呼ばれるテフラや、火山弾になって周囲に飛散します。噴火の直後は、それは高温で有り、周りは固まっていても中心部分はまだ溶けていたりします。そういったテフラが、厚く積もると、それぞれの持っている熱で再び溶けだして、そのまま火口から流れていきた溶岩とは違った形状の、がさがさしたものが唐揚げのようにくっついたものを作り出します。これがアグルチネートです。下部はバラバラのスコリア層でその上をクランキーチョコレートのコーティングみたいに覆っているのをよく見かけます。」

学生時代、赤血球凝集素のことを「hemagglutinin」と言ったのを思い出した。

「agglutinate」は、「膠着、接合する」と訳されている。

石黒耀(いしぐろ あきら)著、「死都日本」の舞台がえびの高原の噴火が起点であるだけに、新燃岳の噴火を見るにつけ、地学に興味がでてきた。

2011年2月21日 (月)

「かごしま大カルデラ」

2011年2月20日

鹿児島県立博物館 何十年ぶりだろう、ここに足を踏み入れたのは 高校生の頃、ここは図書館だった。よく自習室として使わせてもらった。それにしても学校の成績悪かったな。

「かごしま大カルデラ」

新燃岳の噴火に合わせた企画展であろう。

http://www.pref.kagoshima.jp/hakubutsukan/event/kikaku2010-caldera.html

「カルデラは巨大噴火によってマグマだまりが空洞になり,大地が落ち込んでできた地形です。私たちの住む鹿児島には,加久藤,姶良,阿多,鬼界の4つの巨大なカルデラがあります。これらのカルデラを出現させた巨大噴火の特徴,自然が創り上げた溶結凝灰岩やシラスなどの特有な地形や私たちの生活と関わりのある鹿児島の石の文化などについて紹介します。また,火砕流などの火山の噴火に伴って変化し,火山地帯の生活に適応できた鹿児島の動・植物を取り上げ,厳しい環境の中で巧妙に,たくましく生き抜く姿などを紹介します。」

参考図書に石黒耀(いしぐろ あきら)氏著「死都日本」 が置いてあった。気づかない人の方が多いだろうな。私も最近、知って読んで、火砕流や土石流の怖さを心配している。

散歩でよく歩く岩屋公園(川辺町)の磨崖仏の岩壁も姶良カルデラの溶結凝灰岩と写真入りで紹介され驚いた。こんな企画が学生時代にあったらもっと 地学を好きになったに違いない。タイムリーでありながら 多くの人にはあまり知られてない?

私自身は博物館に足を運ぶ機会が増えそうである。

2010年11月22日 (月)

高千穂の峯

11月6日日曜日

今年大学入学した娘と久しぶりの高千穂登山。高校生の息子と違い、なぜか父親との山行を嫌がらない。いまどき不思議な女。

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登山道に落ちた色づいた葉っぱがまことにきれい。

お鉢までの登山道は傾斜もあり、登りはつらい。大腿四頭筋、腸腰筋?が悲鳴を上げる。Img_0274 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響か、高千穂登山客が多い。坂本龍馬(福山雅治)、お龍(真木よう子)も登っている。靴でなく、藁草履だったのだろうか、さぞ、足が痛かったのではないだろうか。

Img_0267 テレビでも紹介されたように、龍馬が逆鉾を引き抜くシーンが思い出される。このくだりは、京都国立博物館に所蔵されている、姉の乙女さんへの絵まじりの手紙で紹介されているので、見るたびに感慨深い。

下りは 馬の背からは、転げ落ちるように 高千穂河原まで歩いた。体力の低下を実感。

車を走らせて、Rホテルで温泉入浴、汗を流す。体重が大台を割り込むが、すぐ又、太る。

2009年10月13日 (火)

炭化木

10月12日(月)体育の日。晴れ時々曇り。

「炭化木谷(たんかぼくだに)」 

D先輩からの電話で聞いた地名が、うまく聞き取れなかったことが、気になっている。1週間前、高千穂河原から矢岳、竜王山に登り、炭化木谷へのルートを探したが、標識がわからず、断念。それならば、逆の新湯側からアプローチ。

新燃岳、獅子戸岳の鞍部に向かう途中、二つ目の川を渡ったところに、「炭化木」の標識に気づいた。

Img_2873 Img_2874 「1716~17年に新燃岳で起こった噴火の時に、火砕流にのみ込まれて、立ち木のまま炭になった木」とある。

約300年の歴史を感じさせる。1716年というと7代将軍徳川家継の死により、吉宗が8代将軍に就任し、元号が正徳(しょうとく)から享保に代わっている。

炭化木は普通の炭と比べて、断片が薄い感じがするが、言われないと 肉眼では見分けがつかないだろう。

こういうのは「放射性炭素年代測定」法を用いて、年代を推定しているのであろうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E7%82%AD%E7%B4%A0%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E6%B8%AC%E5%AE%9A

新燃岳、獅子戸岳の鞍部から大幡山に向かって、「炭化木谷」「竜王山」へのルートを探したが、今回も見つからなかった。「炭化木」に出会えたのは、「炭化木谷」を2週続けて探している私に神様からのご褒美に思えた。

2009年10月 5日 (月)

矢岳

10月4日(日)晴れ

山の師匠 D先輩に教えてもらって、矢岳(1131m)を初めて登る。

高千穂河原を10時半頃 出発。古宮址(ふるみやあと)の左側から登山道を入って行くのだが、出発点の標識が無く、戸惑う。山の師匠 D先輩がメールで「神社階段下を左に行き、小川を横切る」と教えてもらっていたので、ゆっくり探して やっと見つかる。中岳、高千穂の峰のルートの表示はあるが、矢岳へのルート表示が無いのは困る。

Img_2817 Img_2818大幡山岳会が作ってくれた標識はありがたかったが、矢岳と竜王山のT字路に向かうルートと皇子原に向かうルートの分岐部で迷って、間違って?皇子原コースから矢岳に登るコースを選択してしまい、急斜面を降りて登って大変だった。昔あったアスレチックコースかと思った。なんとか、ミカエリソウの草花を見ながら矢岳の頂上にたどり着く。

途中会ったのはわずか 五名。

Img_2834 Img_2835 右端が夷守岳(1344m)、その左が大幡山(1353m)、大幡はだいぶ前に登ったことがあるが、夷守岳はまだ登ったことがない。矢岳の頂上で出会った60代後半とおぼしき女性二人連れは山に詳しく、夷守岳は「夏はまむしが多いのよね」。蛇嫌いの私には鬼門の山である。13時頃 昼食の弁当(ほか弁の幕の内大盛)を食べ、竜王山に登頂(というほどの 矢岳からの高低差は無い)。竜王山頂上からはほとんど周りの山が見えなかった。竜王山から炭化木谷に向かうルートがあるらしいが、道や標識がわからず、時間に余裕も無く、あきらめた。

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赤い実をつけた木は「ヤマボウシ」というそうだ。熟した実はおいしいそうだが、私のはまだ熟してなくて美味しくは無く、吐き出してしまいました。

ヤマボウシはみずき科で、白い花を咲かせ、白い頭巾をかぶった山法師に見立てたらしい。ぴんと来ません。

竜王と矢岳の中間のT字分岐部から涸谷に下る。 Img_2841 こちらのルートがずっと楽だ。少し歩くと 友人のSさんと会う。彼も 私同様 D先輩にそそのかされて?ミカエリソウを見に矢岳に向かう。でも もう15時過ぎ。聞けば、14時過ぎに高千穂河原出発。間違わずに、来てるとはいえ、これから矢岳に登って帰るとすると時間大丈夫?

(あとで 電話があり、T字分岐部で、引き返し 矢岳に登らなかったとのこと。無事で正解だったと思う。)

Img_2843 この木はケナシアオハダ(もちのき科)?「毛無青肌」(葉の裏面の脈に沿って毛が無いもの) つい赤い実に目がいって、木の名前が正確かは不明。

行きは一人での初めてのコース。行き帰り、出会ったのは7-8名。帰りは行きと途中から同じだったので、安心して帰れた。16時半に高千穂河原の駐車場にたどりつき、途中 温泉に入って帰った。

環境省の自然公園財団 「高千穂河原ビジターセンター」と「高千穂河原パークサービスセンター 」と似たようなご立派な2つの「箱物」より、お金はあまりかからないと思うが、安心、安全の標識をきちんと整備して、初心者が 道に迷わないようにしてほしい。