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2010年1月18日 (月)

自民党党本部

2009年1月17日日曜日晴れ

15年前の1995年1月17日午前5時過ぎ、阪神淡路大震災が起こった。時の村山内閣の危機管理対策の無さ、遅れを想いだした。歩いている東京の中心で大地震が起きて、今の内閣の危機管理やいかに。

東京赤坂のホテルを9時にでて、赤坂見付を通り過ぎ、皇居を目指して歩いていると、途中、国会議事堂の建物が目に付き、目標変更寄り道。道路上の警察官が多数目につき、田舎者にとっては、ものものしい。

http://www.jimin.jp/jimin/jimin/honbu/index.html#map

自民党党本部前を通ったが、警官が警備している。「警備が物々しいですね、前を通っていいですか?」と尋ねると、政権与党の時はもっと多数の警官がいたそうで、野党に転落して警備にあたる人数も減少したそうです。こころなしか、建物も古く見え、訪れるひとも日曜日の朝早いせいか、出会うことはありませんでした。 今、読んでいる山崎豊子著「不毛地帯」では、時の権力者 田中角栄をモデルとした人物が登場するが、だいぶ時代は変った。ここは、いろんなドラマがあったし、これからもあるのであろう。ただ、登場人物が「小者」になった気がする。

2009年11月27日 (金)

秋の岩屋公園

11月27日晴れ

外気温25度。

久しぶりに岩屋公園(南九州市川辺町)に行ってみた。

Img_3147 Img_3141 Img_3145葉が思いの外、綺麗でした。カメラを持った人を数名見かけました。

インドネシア人が写真を撮ろうとしていたので、一緒に撮ってあげた。

Where do you come from?

Do you speak Japanese?

May I take a picture?

Get together.

Please smile.

Please check a photo.

中学生レベル英語だよな。英検2級は今いずこ。

でも、なんか「プチ国際交流」。

2009年4月13日 (月)

知林ヶ島(続)

指宿市のHPで、砂州の現れる時間帯つまり知林ヶ島ままで渡れる時間帯が紹介されている。参考にされたい。

http://www.city.ibusuki.lg.jp/chirin/joho.htm

これまで、渡っている最中の事故や島に取り残された事件は?

砂州を渡るのは自己責任とはいえ、ガイドの方が最後まで残って、観光客に事故が起きないように注意をしてくれているのはありがたい。迷惑をかけたくないものである。

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「砂州」sand bar 学生の頃、習っているのかもしれないが、すっかり忘れている。 Wikipediaで調べてみると

「湾の入り口にできた砂嘴(さし)が発達し、対岸又はその付近まで至った地形。沿岸流により運ばれた砂や礫が堆積することにより作られる。京都の天橋立、福岡の海の中道も代表例」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E5%B7%9E

知林ヶ島 

南日本新聞の記事(2009年4月12日)で、指宿市の知林ヶ島の遊歩道完成が紹介されていた。

「環境省が進めてきた指宿市沖の知林ケ島の整備工事が完成、11日に記念式典があった。島内を巡る遊歩道(延長約2・5キロ)や2カ所の展望台、休憩所を設置、手軽に島内散策が楽しめるようになった。
 知林ケ島は周囲約3キロ、標高90メートルの無人島。大潮や中潮の干潮時に砂州が現れ、歩いて島に渡れる。工事は昨年10月着手し、事業費は約7000万円。
 式典終了後、市民や観光客らが次々と砂州を通り渡島。島内の自然や展望台からの眺めを堪能していた。」

http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=16304

以前から、知林ヶ島の「砂州」に関心があったので、いい機会だと思い、昼過ぎてから出かけた。

途中、道の駅 いぶすきで昼食を摂りました。

海鮮丼には沖縄で初めて食べた海ぶどうが入っていた。

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http://www.minc.ne.jp/~fain-s/

天候も良く、最高気温が25度を超え、観光客も多かった。土産に海ぶどうを買って帰ろうと思ったが、帰りには売り切れていた。

腹ごしらえが終わり、さらに南に車を走らせた。

田良岬に着いて、砂州を渡り始めた。

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20分くらいかかって歩いて知林ヶ島にたどり着いたのが15時頃、ガイドの方が、島を1周してもいいが、砂州が消えない前に戻ってこないといけない。砂州が消えたら12時間待たなければならないと注意を受けた。せっかく来たからには1周しようと思い、急いで遊歩道を歩いた。約1時間かかった。なんとか、砂州が消える前に戻ってこれた。

心地よい疲労が残ったけどいい1日であった。

2009年2月 9日 (月)

岩屋公園

梅の花が見ごろかなと思って、南九州市川辺町岩屋公園を散策。 公園内にある梅の木は1本しか気づかなかった。桜の木はたくさんあるのに不思議。まだ、肌寒く、訪れている人もまばらであった。桜の木は既に小さな小さな蕾をつけて、花咲く日に向けて充電しているようであった。

岩屋公園には、鳳凰を屋根の上に載せた建物がある。

二階建て、。最初は金閣寺を模したと思っていたが、金閣寺は3階建て。建物の色合いは違うが、銀閣寺を模しているのか。似たような築山が銀閣寺にあったかな。鳳凰を屋根に載せているのは、宇治の平等院鳳凰堂、金閣寺、銀閣寺があるが、川辺の建物を設計した人は、どんなことを思いながら設計したのか?

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肝腎の お目当ての梅の木は 駐車場そばの民家の畑にあった木を撮らせてもらった。

Img_1569 Img_1570

立春が過ぎ、三寒四温を経て、暖かい春になっていく。

2008年5月27日 (火)

中岳

5月25日(日)、梅雨入りを思わせた前日の雨が降り止んで、午後からの降水確率10%。1週間前は、ミツバツツジを見ましたが、

http://shibaryo.synapse-blog.jp/shibaryo/2008/05/post-fd7e.html

梅雨に入ってしまうとミヤマキリシマが見れなくなると思い、又、今週も霧島に行きました。

今回は湯之野から中岳をめざしました。初めてのルート。

http://map.yahoo.co.jp/pl?sc=3&lat=31.44.15.014&lon=130.45.55.192

登り口をでたのが12時。新燃岳と中岳の中間の鞍部まではほとんどが森の中。約1時間半?、出会ったのはわずか3名であった。このルートは起伏はゆるやかで、歩きやすいが、あまり、有名ではないようでした。

http://www.mnet.ne.jp/~jyukunen/root01.html

中岳に着いたら、おなかぺこぺこで、遅い昼ご飯にした。昼食は、途中、嘉例川駅で買った「かれい川弁当」。今回で、食べるのは2回目。2回とも霧島山中。列車の中ではないが、美味しい。満腹で、余計に買ったガネ2個は子供へのお土産となった。

お品書きによると、シイタケと竹の子の炊き込み御飯。ガネ(野菜の天麩羅:鹿児島弁で、蟹のこと、揚げあがった形が蟹に似ている)。千切り大根の煮物、味噌田楽(茄子と南瓜)。大根と人参の酢の物。コロッケ(シイタケと竹の子を混ぜ込んであり、肉が入ってない)。

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中岳から見る高千穂の峰は素晴らしい。ミヤマキリシマも先週と比べ、綺麗に咲いて、見頃とのことでした。

湯之野から、中岳へのルートは初めてであったが、なかなかいいルートでした。

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2008年5月20日 (火)

ミツバツツジ

5月18日(日)、天気快晴。

霧島にミツバツツジを見に行きました。

普段は登山口の新湯温泉に停める車は少ないのですが、ミツバツツジを見るためか、ものすごい車でした。

途中、フジの花も見頃でした。

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「霧島の花ごよみ」(大工園 認著、南日本新聞社)によると

「ヤマフジ」(マメ科)のようです。先日、知人宅のフジは花が終わって、実が細いマメになってるのを思い出しました。

新燃岳と獅子戸岳の中間の分岐点である鞍までの新湯側及び、鞍から新燃岳の登りのところにお目当てのミツバツツジが咲いてました。

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Cimg2165 名前の由来は

ひし形をした3枚の葉をもつためのようですね。

新燃岳の頂上ではミヤマキリシマも見頃でした。中岳には行きませんでしたが、もっと見頃だったようです。

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足元を注意深く見るとリンドウの花も可憐に咲いてました。

新燃岳から、新湯温泉側に引き返しましたが、往復10数kmの登山は疲れました。若い頃と違って、最近はいろんな花を見るために山歩きを楽しんでます。

中高年の登山客の数の増加は驚くべきものがあります。

志布志を朝7時に出発して、ミツバツツジを見るために山歩きをされていた70台のご夫婦、自分もああいう風になりたいです。