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2011年5月 9日 (月)

益山八幡神社

Img_2276 Img_2279 Img_2280 南さつま市加世田益山地区に「益山八幡神社」はある。初めてこの神社を訪れたときに驚いたのは、鳥居が二つ並列にあることだった。

教育委員会の説明では、「1100年岩清水八幡宮の神霊を捧持して、中小路に建てたが、1478年にこの地に移設。毎月の祭りの当番にあたった門には、特別に田が与えられた。明治以降に本田、二田、三田、霜田などの姓が生まれた。又、岩清水八幡宮ゆかりの放生会姓もこの地に残っている。明治43年鳥居が横に並ぶ特色のある南方神社と合祀したので、現在鳥居が2基横に並んで立っている。」

鳥居のすぐ後ろの阿吽の像が廃仏毀釈によると思われる頭部や腕の欠損している。なんとも馬鹿げた時代だったことを想起させる。

並列した2基の鳥居、これから他の南方神社を訪れる際は気をつけてみよう。

コメント

1100年岩清水八幡宮の神霊を捧持して、中小路に建立したのは、池田家・藤宮家で私の先祖です
鳥居のすぐ後ろの阿吽の像が廃仏毀釈によると思われる頭部や腕の欠損していると記されていますが、この時明治政府に抵抗して長崎で祖祖父(池田六郎衛)が処刑されました
祖祖父が残した(血は輝く)という
書物が有ります

コメントありがとうございます。
益山在住の 本田さん、放生会さんにご縁があり、神社そばには 三田さんという表札も見られ、なるほどと思いました。仏の守護神の金剛力士像が破壊されているということは、その当時は、神仏習合で力士像が神社に置かれていたのでしょうか。
それにしても、池田様の先祖は殉教者として、すごいですね。

申し訳ありません
私の表記ミスで祖祖父の名は
池田六郎兵衛 です
宜しくご訂正の程、お願い申しあげます

 池田潤一郎  畿内の地より

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