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2012年12月17日 (月)

塩釜神社

2012年12月16日日曜日曇り。

自宅から、イオン鹿児島店まで、12000歩。約10kmくらい歩いた。

途中、ラサール学園のそばで、塩釜神社発見。

ここは、以前、鹿児島探検の会の町歩きで、東川隆太郎さんに教えてもらった神社である。狭い境内の立て看板によると、塩釜神社の由来は

「藩政時代」 上塩屋、中塩屋、東塩屋、西塩屋の各地は谷山郷の塩屋村で、塩の専売制度になるまでは、製塩によって生活を維持してきた所で、中塩屋の塩釜神社がその信仰の中心で、分社が東塩屋にもある。住民は半農半塩で、毎年七月から十五夜までは、夜通し塩を炊いていたという。塩釜神社は塩釜大明神とも呼ばれ、祭神は、塩士老翁命(しおおさのみこと)で、昔から製塩業者の守護神であるが、製塩、漁業、航海安全、安産の神として村人の信仰が厚かった。以前、上塩屋電停近くにも社田もあった。秋の大祭は12月11日で塩釜講も盛大であった。塩釜大明神は、子供好きで境内でどんなに遊んでも怪我をしない。子供が遊んでいないときは神様の機嫌が悪いときだと言われ、神社と村人達とのかかわりが深い。(「谷山史誌」より)

鹿児島市電の駅名に、「谷山」と「笹貫」の間に「上塩屋」がある。 又、鹿児島市の町名で、谷山「塩屋」町として、「塩」の名前が残っている。歴史的背景のある地名は後世に残していくことが大事であるが、その由来を住民は子々孫々に語り継ぐことも重要である。

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2012年12月14日 (金)

歩く:長文です。

所属している会に投稿した雑文です。

人生50歳を過ぎ、体力も下り坂です。薩摩の斉彬公、西郷どん、一蔵どんより長生きして、馬齢を重ねてしまいました。今後、なるべく介護保険のお世話にならないように、又、お世話になるのを遅らせるため、トレーニングの必要性、体力作りの重要性を感じております。皆さんは、体力作りのためにスポーツ等何かされてますか?こういったものは人から強制されるのではなく、楽しくなくては長続きしません。私は子供の頃から運動が苦手。走るの遅いけど、歩くのは人並みでしたが、持久力があったかは疑問です。

高校・大学では体を動かす体育会系倶楽部にも属さないノンポリ青春時代でした。大学を卒業して、1年目の夏休みに、一人旅で、長野県松本を訪れた際、上高地まで足を伸ばしました。格好はデイバックに普通の運動靴だったと思います。見上げた山々(明神岳、西穂高岳?)の素晴らしさに引き寄せられるように、非常食・雨具を含め準備らしい準備・装備無しで、思いつきで蝶ヶ岳に登りました。山小屋(蝶ヶ岳ヒュッテ)に泊り、翌朝の天候が良く、外に出るとこんなにすばらしい景色が世の中にはあるのものだと感動したのを今でも覚えています。人生観が変わった一瞬でした。その後、バッグ、靴、天幕、調理道具など山道具を少しずつ買い揃え、次の年から毎年のように夏休みは北アルプスに足を運びました。槍ヶ岳、白馬岳、劔岳等に山小屋を利用したり、天幕、食料をかついだりして縦走しました。その後、結婚や子育て、開業などで泊りがけの登山はめっきり少なくなりました。今は、子供もある程度大きくなり、一緒に遊ぶ機会はほとんど皆無で、山登りする機会も増えつつあります、それでも開業してからの泊りがけ登山は由布岳、九重など数える限りです。

霧島の山は、今でも時々登ります。朝起きて、天気がいいと登りたくなります。又、新聞テレビで、霧島の紅葉、霧氷などのニュースに接するとその気になります。新燃岳の2011年噴火の4、5日前の凍った大浪の池にも登っておりました。噴火による周辺の山々への登山規制は残念でしたが、今年になって、韓国岳、高千穂の峰、大浪の池などへの入山規制解除で、また、登ることができ、早速、再開です。ある割合の方々にとっては、山登りはきついことをやるということでマゾ的ですが、中高年の登山人口や山ガールの増加からすると、私のように楽しく思う人も少なからずいるわけです。

山を登るのには、普段から足腰を鍛える必要があります。私は、23年前、BMI25くらいになり、チビ、デブ、禿げ、3拍子そろったこともあり、チビ、禿げはどうしようもありませんが、その頃から、散歩を日課とするようになりました。最低でも、1日5km、6000歩、天候さえ良ければ、毎日のように歩きます。休みの日など1日合計2万歩(15km余りでしょうか)という日もあります。マラソン42.195km走る人に比べたらたいしたことはありません。散歩に際し、こだわっている道具のひとつが、靴です。自分に合う、疲れない靴を見つけることです。まだ、履いてないwalking shoes ただ今、3足。また、万歩計も私の場合、必携。万歩計を使って、歩いた歩数を確認します。歩いていて飽きないのは周りの景色です。季節の移り変わりとともに、草花木は変化します。今の季節、日中は紅葉、夜は月や星を楽しんで飽きません。天候や用事で歩けないときは、翌日は禁断症状で、歩きたくなります。学会出張でも、時間があれば街歩き。私の体の中ではエンドルフィン(脳内麻薬)が歩くと出てるのかもしれません。平地だけでは、山登りで使う筋肉を鍛えることはできませんので、私の場合、坂道や階段もコースに入れます。山登り用には、少し重めのリュックをなるべく背負うようにします。泊りがけの登山で、山歩きが連日になることのための練習です。

最近の山登りで、記憶に残ったのは、霧島東神社から高千穂の峰へのコース(往復約10km)。通常は高千穂の峰には高千穂河原が登山口ですが、今回はいつもと違うルートを選択。99日日曜日、11時過ぎから霧島東神社、御池登山口から登り始める。登山開始がいつもになく遅いのは、登山口まで道を迷ったこともあるのですが、前夜、友達と居酒屋で遅くまで飲み過ぎたため、起きるのが遅かったためです。山登りはなるべく早く登り始めるのが原則。歩き始めてすぐ「ヤマヒルに注意」の看板に気づくも、「そんなのいるのかな、それは梅雨時だろう」と、あまり気にも留めませんでした。高千穂の峰山頂までは片道5km。毎日のように平地5km, 6000歩、歩いているわが身は5kmを体が覚えているはず。たいしたことないだろうと思って登る。登れども登れども、先が長い。やはり、平地と山道では同じ5kmでも違う。12時近く、おなかがすいて、アンパン1個食す。血糖値が上昇し、また頑張る気持ちになる。今回のルートは九州自然歩道ではあるが、整備が不十分で、途中, 何度も道に迷いやすいところがありました。なかなか2.5km、五合目までが遠い。山頂まで登り降りする人にほとんど会いませんでした。山の中で、携帯電話が通じにくい、遭難や転落事故など、こういう利用する人の少ない山での一人歩きは気をつけなければならない。途中、何度も止めて引き返そうかとも考えましたが、なんとか最後まで頑張ろうと思いました。残り1.4kmくらいの見晴らしのいいところで、弁当を食す。既に時刻は13時半、水は 1.5L持参するも出発地点に戻ったときは 全部 飲み干すぐらいに、のどが渇きました。特に、夏場は飲み水の準備は怠ってはいけません。皇子原登山口からの元気な若いカップルが後から追ってくる。頑張らねば。高千穂の峰頂上付近は、新燃岳の噴火の影響で、火山礫が降り積もって、足場が悪く、登りにくい。桜島の細かい降灰と異なり、軽石を小さくしたようなものである。高千穂の峰山頂にたどりついたのは 14時半。天候は雨や雷には遭遇しなかったけれど、ガスのため山頂から周りの新燃岳、中岳、韓国岳はほとんど見えず。山頂で、10分くらいの短い休憩の後、下山開始。日暮れが早くなっているので心配で、急ぐ。
帰りも 当たり前ですが誰一人、遭遇せず。蛇も鹿にも遭わず。ところが、ところがである。今回の登山開始の時に登山届けを書き、下山したということで記帳しようとして両腕を見るとは無しに見ると、なんと黒っぽいナメクジのような物体3匹が吸血しているではないか。ナメクジではない。あ、あ、これがヤマヒルだ。最初の「ヤマヒルに注意」の看板を思い出し、払い落とす。生まれて初めてのヤマヒルとの望まない遭遇。実に気持ち悪い。血がなかなか止まらない。じわーっとでている。痛みも痒みもない。丸山征郎鹿児島大学名誉教授(臨床検査学)が講演された抗凝固効果を持つ成分(ヒルジン)をヤマヒルは持っていることを思い出す。車にたどり着いて、靴を履き替えようとしたら、またしても靴下の上にもいるではないか。よくみると、足も一箇所吸血されている。その後、霧島の温泉に入るとき、自分の裸身を見て、ほかに吸血されたとこないか確認。蚊、蜂、ムカデなどと違って、痛くも痒くもなく、吸着されているのに気づかない。頼るのは視覚ばかり、ヤマヒル恐るべし。山の達人Dさん(K製薬)が、御池近くのヤマヒルの話をしてくれたことがありましたが、まるで他人事のようで、その時は記憶にほとんど留めませんでした。ヤマヒルに刺された箇所は2-3週間、痕が残りました。カメラは持参しましたが、私にとっては珍しいヤマヒルの写真を撮る余裕など全くありませんでした。今回は約6時間の所要時間で、高千穂河原から高千穂の峰までのコースの倍くらいかかりました。20年以上前に登っているコースでしたが、そのときの難易度の印象が今より低かったのは、まだ若かったためか、それとも最近の体力の衰えか。最近の登山では一番、体力、気力を消耗しました。それでも、これまでとは違う体験になり、又、登ろうと心に誓いました。

あと数年すると還暦を迎えますが、30歳の頃、登った北アルプス劔岳に再度挑戦しようかと画策し、体力が落ちないように努力、心がけている今日この頃です。

2011年5月27日 (金)

不活化ポリオワクチン 2

昨日、ポリオのワクチンことをブログに書いて、厚生労働省の「怠慢ぶり」を糾弾したつもりだったが、

「ポリオ不活化ワクチン、承認は早くても来年度に」

先進諸外国に遅ればせながら やっと同調ですか。

http://mainichi.jp/life/health/medical/news/20110527ddm041040165000c.html

 欧米では標準的に使われているポリオ(急性灰白髄炎)の「不活化ワクチン」が国内では未承認になっている問題で、厚生労働省は26日の予防接種部会で、早ければ12年度中に導入する見通しを示した。研究開発を進める複数の国内メーカーが年末から順次、製造販売に向けた承認申請をする予定で、同省は「できる限り迅速に審査する」と説明した。

 新しいワクチンはジフテリア、百日ぜき、破傷風と不活化ポリオの4種混合ワクチン。ポリオは発症すると手足のまひなどの症状が出る。

 ポリオワクチンには、ウイルスを殺した不活化ワクチンと、生きたウイルスを弱毒化させた生ワクチンの2種類があり、現在、国内で使用している生ワクチンは、ごくまれにウイルスが脳や脊髄(せきずい)に達し、まひを起こすことがある。 

「生ワクチン」は効果が高いものの、この10年間で21人がポリオを発症し足にマヒが残るなどしていて、副作用が問題とされていました。

21人の犠牲を1人でも少なくするために、もう少し早く「不活化ポリオワクチン」が導入されると良かったのですが。

一般の人には服やバッグなど 飾り立てるのに 外国ブランド品には目のない方が少なからずいるかと思うが、もう少し 体の安心・安全のために 情報収集をしてほしい。

2011年5月26日 (木)

不活化ポリオワクチン

以前NHKの ニュースで、ポリオ経口生ワクチン(OPV:oral polio vaccine)による稀な副作用で、ポリオになった子供さんが報道されていた。

5月24日南九州市でも、生ワクチン接種が行われた。お話した親御さんからは、どなたからも不活化ワクチンのことを聞かれなかった。欧米を含め先進諸国はほぼ不活化ワクチンで、お隣の中国でも不活化ワクチンへの切り替え中。韓国は不活化、北朝鮮・モンゴルは生ワク。厚生省の認可が下りないのか、国の対応のまずさが残念でならない。一般国民で、このことを知るひとは少ない。医師のある割合は知っている。

米国疾病対策予防センターCDC(center for disease control and prevention)の勧告によると、米国では2000年1月1日から全州で「不活化ワクチン」になり、生ワク(OPV)はもはや勧められないと勧告している。

日本では、1981年以降、野生株によるポリオの発症は幸いにしてなく、日本で現在 発症するポリオはワクチン関連麻痺。数十万人に1人の発症。まさにロシアンルーレット。

Albert Sabin博士が開発したこの生ワクチンの果たした役割は非常に大きいことは十分理解している。 

不活化ポリオワクチンを日本で、鹿児島で受けようとしたら、大変面倒である。鹿児島で接種できる医療機関あるのかしら?輸入不活化ワクチンの副作用に対する公的補償体制も不備である。

まさに生ワクチン(OPV)が悪いことが知りながら、それに関わる厚生省、自治体、医師など悪いと知りながら「不作為の作為」 怖いことである。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~polio/vaccine.html

2011年5月10日 (火)

奈良国立博物館

Img_1539 2011年5月1日

重要文化財「旧帝国奈良博物館本館」

いつか正倉院展見たいのであるが、なかなか 行ける機会が無い。

「明治28年(1895)に竣工。設計は、京都国立博物館と同じ片山東熊(とうくま)。様式はルネッサンス高揚期のそれによっており、西玄関周りの装飾は意匠的にも優れ、明治中期の建築として代表的。」

Img_2263 こちらは京都国立博物館、なるほど似ている。

片山東熊(1854-1917)は、これらの他に、赤坂離宮(現・迎賓館)も作っている。なるほど、優れた建築家である。

麝香藤(じゃこうふじ)

Img_1742 2011年5月1日

奈良 春日大社萬葉植物園

「麝香藤」:何と読むんだろう。自宅に帰って、漢和辞典を調べてやっとわかった。

「麝香」(じゃこう):麝の腹部にある鶏卵大の香嚢からとった香料。薬用としても使われる。

「麝香鹿」(じゃこうじか):鹿の一種で、鹿よりも小さく、角がない。その腹部から香料の麝香が取れる。

香りを嗅いだか忘れてしまった。

「春日大社は藤原氏の氏神で、フジ(藤)はその象徴であり、大切に扱われてきた。」昨年、春日大社を初めて訪れたとき、巫女さんが、藤の花を髪にさしてきれいだったことを思い出した。

2011年5月 9日 (月)

庚申地蔵

Img_2288 加世田の益山八幡神社には「庚申地蔵」があった。

説明文には「昔、庚申(かのえ さる)の日に、身を慎む庚申信仰があり、その一環として貞享2年(1685)に建てた。」

「庚申信仰」とは?

「中国の道教では、人中に潜む「三尸の虫(上尸=頭、中尸=腹、下尸=足)は、庚申の夜、人が眠りにつくと天に昇り、天帝にその罪を告げ、天帝は罪の軽重に応じて、その人の寿命を決めていくといわれる。そこで、長生きを願う人々は、この日は眠らずに夜籠して身を慎んだという。
これが日本に伝わり、奈良時代末頃から貴族を中心に定着した。夜を徹するための趣向を凝らしたさまざまな遊びは、「源氏物語」「枕草子」「栄華物語」などにも描かれている。」

このことを知ったときに香港の旧正月の話の中の「竈の神様」を思い出した。

「Most Chinese families have a picture of the Kitchen God. A week before Chinese New Year he goes for "home leave" to heaven and there reports to the Jade Emperor on the doings of the household. He returns just in time for the New year's celebration-the most important of all Chinese festivals」

中国の旧正月の風習は長崎でも見られるが、日本の庚申信仰、もう後世に伝えることが私の周りでは難しくなってるようだ。

益山八幡神社

Img_2276 Img_2279 Img_2280 南さつま市加世田益山地区に「益山八幡神社」はある。初めてこの神社を訪れたときに驚いたのは、鳥居が二つ並列にあることだった。

教育委員会の説明では、「1100年岩清水八幡宮の神霊を捧持して、中小路に建てたが、1478年にこの地に移設。毎月の祭りの当番にあたった門には、特別に田が与えられた。明治以降に本田、二田、三田、霜田などの姓が生まれた。又、岩清水八幡宮ゆかりの放生会姓もこの地に残っている。明治43年鳥居が横に並ぶ特色のある南方神社と合祀したので、現在鳥居が2基横に並んで立っている。」

鳥居のすぐ後ろの阿吽の像が廃仏毀釈によると思われる頭部や腕の欠損している。なんとも馬鹿げた時代だったことを想起させる。

並列した2基の鳥居、これから他の南方神社を訪れる際は気をつけてみよう。

2011年5月 6日 (金)

御衣黄(ぎょいこう)

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2011年5月1日曇り

奈良市春日大社の萬葉植物園。入り口の前で、「よいこ桜が見頃です。」と聞こえる。うーん、実は 御衣黄(ぎょいこう)桜が見頃と言っているのを聞き違えていた。

御衣黄(ぎょいこう)

「鬱金(うこん)」と共に2種類ある緑の桜の一つ。大島桜の系統の八重桜で花の中心から赤い筋が花びらに入り、ピンク色に染まって、花の形のまま散り落ちる。天皇陛下がお召しになられる衣装「衣黄(いこう)」から名がつくほど昔から日本にある桜。

桜は「山桜」、「染井吉野」、八重桜、しだれ桜しか知らなかったけど、こんな上品な名前の桜があるものだ。

日を改めて訪れた長谷寺(奈良)、鞍馬寺(京都)でも、見ることができた。

Wikipediaによると

「江戸時代に京都仁和寺で栽培されたのがはじまり。貴族の衣服の萌黄色に近いためとある」

萬葉植物園では、係員の方が丁寧に説明してくれた。桜の木は、木と木の間を7m以上離して植えないと、成長が妨げられて、枯れたり、いい花芽をつけないそうだ。なるほど。川辺の岩屋公園には3本のしだれ桜があり、今年は花が少なかったけど、肥料が少ないだけではなく、桜の木と木の間が近すぎるのも悪いことのようだ。

2011年4月26日 (火)

ミヤコザサ

2011年4月24日日曜日

天候:小雨

鹿児島市内は晴れていたのに、えびの高原は霧、小雨。

えびの高原 池めぐり 自然観察会参加。

81歳の師匠は、年齢を感じさせない知力、体力に脱帽。

いろんな 植物を教えてもらったが、記銘力障害のため、ほとんどを忘れる。

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「ミヤコザサ」漢字で書くと「都笹」、学名が「Sasa nipponica」

名前の由来が、京都の比叡山で発見されたので、この名前とのこと。

鹿に食べられているそうである。

山で見かける笹は 「クマザサ」を思い出すが、クマザサは霧島には無いそうです。クマザサは「熊笹」ではなく、「隈笹」。葉に隈取りがあるのが、名前の由来。葉が越冬するときに縁が枯れて隈取りになる。 

なるほど。初めて知った。今回は途中で、雨が強くなりそうで、天候の回復が見込めず、途中で中止となったが、昼食のときに師匠をはじめとするガイドの方々とお話ができて、又 機会があれば 是非参加したい。