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2009年1月28日 (水)

死因究明

1月25日の朝日新聞社説に「死因究明:監察医を全国に広げよう」という記事が掲載された。http://www.asahi.com/paper/editorial20090125.html

「政府はすべての都道府県に死因を究明する医療センターを設立するべきと提言。専門医、解剖補助職員による検案、解剖検査部門、血液生化学部門、薬毒物検査部門からなる。240億円の経費。」

地元鹿児島の法医学教室

http://www2.kufm.kagoshima-u.ac.jp/~mdio/list/b/b1/index.html

専従スタッフは4名?大学院生の数は?今後、県単位の死因究明センターつくりに対応できる体制は?

独立行政法人化した大学がどれだけやれるのか?利益、効率優先の今の時代、よほど、財務省官僚や国会議員が考慮してくれないと絵に描いた餅か。

朝日新聞の社説は日本法医学会の死因究明のありかた検討委員会最終報告(2009年1月20日)の日本型の死因究明制度の構築を目指して:死因究明医療センター構想」を踏まえている。http://plaza.umin.ac.jp/legalmed/siinnkyuumei/teigensaisyuu.htm

警察や死体検案を担当した医師が誤って病死と判断した事例が少なからずある。「例えば相撲部屋のリンチ死事件だ。愛知県警が病死と間違えた。遺族が別の県警に相談して解剖しなければ、あやうく遺体は火葬されるところだった。ガス器具の不具合による中毒死事故も、多くは簡単な調べで心不全などとして片づけられていた。」

警察から依頼された医師がすることは、外表からの異常は無いか、大きな異常がなければ、心腔穿刺(心臓の中の血液を採取)して、トロポニン定性テストを行い、心筋梗塞かどうかの判定。http://www.srl.info/srlinfo/kensa_ref_CD/KENSA/SRL0467.htm

しかし、生きているヒトでの心筋梗塞の判定はわかるが、心停止したヒトの判定にトロポニン定性検査が使えるのか?

および、髄液採取を行い、クモ膜下出血かどうかを判断。

これで、死体検案して書類を書いてくれ。おかしい。

海堂尊(かいどう たける)氏の作品を読んでから、autopsy-imagingに関心がある。http://hranmu.spaces.live.com/Blog/cns!F6D2A9D447E0DCE9!650.entry

オートプシー・イメージング学会もあるhttp://plaza.umin.ac.jp/~ai-ai/

千葉大学法医学教室は 無料でCT検案を行っている。http://www.m.chiba-u.ac.jp/class/houi/CT/index.html

こういう教室は稀であろう。鹿児島でやろうにも体制整備、予算など数々の障壁がある。現状では法医解剖を増やすことは困難であろう。鹿児島の死体検案の一助にCT検案が導入される日が来るのか?まだまだ今後も死因を誤診することが少なからず、続くのだろう。

2008年2月23日 (土)

サリン

地下鉄サリン事件が起こったのは、1995年3月20日。もう、あれから13年経とうとしている。サリン(sarin)も、有機リン化合物のひとつ。中国で作られた毒入り餃子に含まれていた毒物(メタミドホスmetamidophos)が有機リン化合物であり、共通していることに気づいた。メタミドホスは-phosという名前が燐の存在が示唆されますね。

Wikipediaによると、Sarinは、1938年ナチス・ドイツで開発された神経毒の一種。有機リン系殺虫剤の開発過程で発見されたが、人体に対する毒性が高すぎたために、殺人以外の用途はない。

地下鉄サリン事件では、有機リン系中毒の解毒剤であるPAM(pralidoxime iodide)が医療機関に常備されている薬でなかったので、診断も難しかったと思われるが、特効薬の入手が困難だったようである。

有機リン製剤がアセチルコリンに結合して一定時間が経過するとエイジング(aging)とよばれる不可逆的変化が起こり、治療薬が効かなくなる。サリンは浴びてから、5時間以内に投与しなければ、手遅れとなる。

地下鉄サリン事件は異常な発生の仕方であるが、今回の中国産冷凍餃子の場合は兵庫県で1家族3名(1月5日)、千葉県1家族5名(1月22日)という小規模な発生であったので、医療機関を受診してもまずは、感染性のものを考え、どうしても診断が遅れ、特効薬による治療が遅れてしまったのではないか。縮瞳と筋攣縮が最も信頼性のある他覚的所見で、血液検査では血清コリンエステラーゼ(ChE)の低値。

これまで有機リン中毒は経験したこと無いし、又、お目にかかることのない平和な世の中を期待したいが、頭の片隅に記憶しておかなくてはなるまい。