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2011年5月10日 (火)

奈良国立博物館

Img_1539 2011年5月1日

重要文化財「旧帝国奈良博物館本館」

いつか正倉院展見たいのであるが、なかなか 行ける機会が無い。

「明治28年(1895)に竣工。設計は、京都国立博物館と同じ片山東熊(とうくま)。様式はルネッサンス高揚期のそれによっており、西玄関周りの装飾は意匠的にも優れ、明治中期の建築として代表的。」

Img_2263 こちらは京都国立博物館、なるほど似ている。

片山東熊(1854-1917)は、これらの他に、赤坂離宮(現・迎賓館)も作っている。なるほど、優れた建築家である。

麝香藤(じゃこうふじ)

Img_1742 2011年5月1日

奈良 春日大社萬葉植物園

「麝香藤」:何と読むんだろう。自宅に帰って、漢和辞典を調べてやっとわかった。

「麝香」(じゃこう):麝の腹部にある鶏卵大の香嚢からとった香料。薬用としても使われる。

「麝香鹿」(じゃこうじか):鹿の一種で、鹿よりも小さく、角がない。その腹部から香料の麝香が取れる。

香りを嗅いだか忘れてしまった。

「春日大社は藤原氏の氏神で、フジ(藤)はその象徴であり、大切に扱われてきた。」昨年、春日大社を初めて訪れたとき、巫女さんが、藤の花を髪にさしてきれいだったことを思い出した。

2011年5月 9日 (月)

庚申地蔵

Img_2288 加世田の益山八幡神社には「庚申地蔵」があった。

説明文には「昔、庚申(かのえ さる)の日に、身を慎む庚申信仰があり、その一環として貞享2年(1685)に建てた。」

「庚申信仰」とは?

「中国の道教では、人中に潜む「三尸の虫(上尸=頭、中尸=腹、下尸=足)は、庚申の夜、人が眠りにつくと天に昇り、天帝にその罪を告げ、天帝は罪の軽重に応じて、その人の寿命を決めていくといわれる。そこで、長生きを願う人々は、この日は眠らずに夜籠して身を慎んだという。
これが日本に伝わり、奈良時代末頃から貴族を中心に定着した。夜を徹するための趣向を凝らしたさまざまな遊びは、「源氏物語」「枕草子」「栄華物語」などにも描かれている。」

このことを知ったときに香港の旧正月の話の中の「竈の神様」を思い出した。

「Most Chinese families have a picture of the Kitchen God. A week before Chinese New Year he goes for "home leave" to heaven and there reports to the Jade Emperor on the doings of the household. He returns just in time for the New year's celebration-the most important of all Chinese festivals」

中国の旧正月の風習は長崎でも見られるが、日本の庚申信仰、もう後世に伝えることが私の周りでは難しくなってるようだ。

益山八幡神社

Img_2276 Img_2279 Img_2280 南さつま市加世田益山地区に「益山八幡神社」はある。初めてこの神社を訪れたときに驚いたのは、鳥居が二つ並列にあることだった。

教育委員会の説明では、「1100年岩清水八幡宮の神霊を捧持して、中小路に建てたが、1478年にこの地に移設。毎月の祭りの当番にあたった門には、特別に田が与えられた。明治以降に本田、二田、三田、霜田などの姓が生まれた。又、岩清水八幡宮ゆかりの放生会姓もこの地に残っている。明治43年鳥居が横に並ぶ特色のある南方神社と合祀したので、現在鳥居が2基横に並んで立っている。」

鳥居のすぐ後ろの阿吽の像が廃仏毀釈によると思われる頭部や腕の欠損している。なんとも馬鹿げた時代だったことを想起させる。

並列した2基の鳥居、これから他の南方神社を訪れる際は気をつけてみよう。

2011年4月25日 (月)

犬飼滝

2011年4月24日

和気公園(牧園町中津川、和気神社)の第8回「藤まつり」に行き、すぐそばの犬飼滝を見たくなって、行った。

Img_1524_13 坂本龍馬が乙女姉さんに宛てた手紙の中で、

「此所は、もう大隅の国にて和気清麻呂が庵結びし所。陰見の滝其の布は十間も落ちて、中程には少しでもさわりなし。実、この世の外かと思われ候ほどのめずらしき所なり。此所に十日計も止りあそび、谷川の流れにて魚をつり、短筒をもちて鳥をうちなど、まことにおもしろかりし。」

司馬遼太郎著「竜馬がゆく」で、和気神社、犬飼滝のことを知り、ここを訪れるのは2-3度目である。

このあたりで、龍馬が魚釣りや、ピストルを撃ったりしていたかと思いをはせた。

NHK-TVドラマの「龍馬伝」で、塩浸温泉が全国で有名になり、観光客が放映後、にわかに増えた。放映される前は 龍馬お龍新婚湯治碑(楠元香代子さん作)があるのに ほとんど車を降りて、見学する人もまばらだった。

TVでは、たしか和気神社、犬飼滝、栄之尾温泉は放映されてないので、塩浸温泉ほど、訪れる人は少ないであろう。眞にもってTVの影響は大きい。塩浸温泉の前を車で通り、多くの観光客をみるたびに テレビを見るより、活字を読め と言いたいのは私だけ?。

2009年3月 4日 (水)

篤姫のひなまつり in  南九州市

http://www.city.minamikyushu.lg.jp/cgi-bin/hpViewContent.cgi?pID=20090202084925&pLang=ja

知覧町の商店街で「篤姫のひなまつり」が開かれている。どうして、篤姫なのか わかりません。(2月1日から3月31日)

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観光客は武家屋敷は見て回っても、なかなか商店街の雛人形の展示は見てくれないようである。

商店街を往復して、見て回った 個人的には帖佐人形?垂水人形が味があってよかった。

麓川にかかる橋のそばで桜の花を見つけました。今日は3月4日で早いですね。

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「はなもも」は図書館の横で咲いてました。

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木瓜(ぼけ)の花はとある民家でみかけました。

「実が瓜に似ているので、木になる瓜で「木瓜(もけ)」と呼ばれていたものが「ぼけ」に転訛したそうです。

花言葉は「先駆者」「指導者」「妖精の輝き」そして「平凡」。

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2009年2月 8日 (日)

川辺二日市

川辺の二日市に行った。朝9時頃で、人手はまだ今からだろう。二日間で15万人訪れるそうである。(どうやって数えるのであろう)普段は過疎の町が好天にも恵まれ、この二日間はものすごい人で賑わう。

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江戸の天明の時代(1781-1788)から始まったという。天明というと「天明の大飢饉」、福岡の志賀島で金印の発見、田沼意次の失脚、松平定信の老中就任などがある。それから、220年ほどの歴史を持つ。住民が農閑期に作った藁細工や竹製品を持ち寄って売る市が原型のようである。

子供の頃は、ものが不足して 二日市で陶磁器の食器を買ったり、珍しいお菓子を食べて、二日市の訪れは、楽しみであったが、普段から、物があふれ、お店が増えてきて、昔の二日市のImg_1563楽しみ方と変わってきた。

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